2008/12/21

(No.653): アルバイトの記憶 その1


過去日記の2006年1月25日の記事。
第25話 回想アルバイテンの巻 2006,1,25
の西武ライオンズ球場の整理員のバイト話し。

1982年とか3年とか、そのくらいの時期だから
もう25年以上も昔の話か。
もちろんまだ西武ドームなんか存在しない時代だ。

このバイトに関しては様々な面白いお話があるのだが、
先ずはそのさわりのみを記憶を紐解きながら話そう。


尚、最初にお断りしておくが
筆者は、野球のやの字も知らないうえに
プロ野球というものに一切興味がない。
今でも興味はない。
選手の名前はおろか、チーム名すら知らない。

が、このバイトは大学時代4年間やった。
エンターテインメントの裏方の仕事が大変面白かったからだ。





整理員とは、メガホンなどを持ってお客を案内する係り。
売り子ではない。
夏は緑色半袖Tにライオンズマーク入りのオーバーオール、
春秋は長袖の緑色のジャンパーで青いスラックスだった。
どちらも、青いライオンズキャップを被るのを義務付けられる。
もちろん全て汗臭い。


ナイターの場合、バイト集合はだいたい15時くらいだった。
球場に隣接している事務所に集まる。
このバイトは女性は採用しない。
男性のみ。
大学生で時給450円くらい、高校生で時給380円くらいだった。
今考えると恐ろしく安い。

ただし、お弁当が出る。
ご飯とおかずが別々になっていて冷めない容器に入っている
所謂仕出し弁当。わりと美味い。


毎回、整理員バイトは30~40名の応募があった。
それら人員を以下のようなチーム編成に構成する。

先ずは大きく1塁側と3塁側に別れる。
球場内の各場所によって、以下のチーム分けがされる。

「下通路」、「中通路」、「外周通路」
 ここまでが内野エリアであり、指定席エリアである。
自由席エリアと外野は「外野」としてそれで一つのチームである。
これが、1塁側と3塁側 それぞれにわかれる。

この他に、「ゲート」と呼ばれるチームがあり
これは文字通り入場ゲートを受け持つ。
確か場内に入れない、駐車場チームもあった。


各チームにはリーダーを置いた。
チーム構成人数は、チームによっても日によっても異なるが
平日ナイターで3~4名くらい、休日では6~7名くらいか。

リーダーももちろんバイトである。
長期間勤務している人をリーダーとする事が多かった。
リーダーは業務用無線機を携帯する。
これで各チーム間と連絡を取ったり、
本部からの指示を受けたりする。



1983年の後半と1984年のシーズンは
筆者は1塁側外周のリーダーだった。
リーダーは、自分のチームの人員の配置と休憩時間の
ローテーションを作る。

チーム員の選別は、その日の朝礼(17時頃の全体ミーティング)
の前にリーダーがメンバーを募集するか、
勧誘して必要人数を集めるのである。


外周チームの主な仕事は、
指定席エリアと自由席エリアの境に立ち
指定席エリアへ入ってくるお客に指定券の提示をお願いすることである。
メガホンを使って、それを広報する。
内容はきっちりと決まっており、暗記しなければならなかった。

試合内容や試合の進みによって内容は少しづつ違っていた。
即ち、1塁側なので、ライオンズが勝っている時と
負けている時で、丁寧さのニュアンスを若干変えていた。

また、外周チームの仕事はそのほかに
ボックスシート側(ネット裏側)に選手が出入りするゲートがあり、
そこへ客が乱入しないようにゲートの門番という仕事もあった。

試合が終わると、酔った客がここから
選手控え室方面へ入ろうとするので、それを阻止するのだ。


全員笛を持っており、ファウルボールの時は
ボールの方向を指差しながら、笛を吹く。
ただ、外周まで飛んでくることはあまりなかった。

今回は整理員とは主にどういうバイトだったかを話したが
いよいよ次回は、このバイトで実際にあった、面白い話を話そう。








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