2009/03/05

(No.718): 温故知新の極意


「歴史」というものが、連綿と繋ぐ人の連鎖により
形作られるのであるなら、長い時間によって変化する
人の想いというエネルギーが、
秩序(平和)と混沌(戦争)を繰り返し、且つ織り成し、
そうして世界は紡がれていくのだろうと思う。

一方、「時代」というものは同一の人間の時間軸に沿った
流れであり、さらに同一の人間同士でありながら
著しく価値観を変化させ得る程の凄まじい勢いを持っている。

こうした価値観の変化の連続が「歴史」であることは容易に想像が付く。
だからといって、その瞬間たる「時代」の潮流が
かくも不規則な、変拍子のビートになってしまうものかと
誰が予測しただろうか。
現世の価値観を遥かに凌駕するなど一体誰が思い浮かべただろうか。



YouTube等で1980年代初頭の映像を見ると古めかしさを感じる。
その当時、筆者はちょうど二十歳前後という年齢で
あったが、そこにはまるであのときの自分が
映っているかのようだ。
なんというダサさなのだろう。
なんというカッチョ悪さなのだろう。

ところが、今でも全く価値観を維持したままの事象が存在する。
いや、むしろ進化している。




それはこれとこれだ。














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