2009/12/08

(No.967): 打面の起源


先日のdeweyのスタジオ録音した音源を
メンバーへメールする。
今回は、時間の都合によりCubaseへは通さずに
正しく「素」のままでMP3変換した。

聴く。

最初は、とても小さい音で聴いたのだが
これがまた、なんだこりゃ、ひどい、ひどすぎる。
へろへろに聴こえた。
自分が演奏している時はわりと良かった印象が
あったのだが、どういうことだろう。

と思った数分後、今度はわりと大きい音で聴いてみた。
全然違う。
なぜか不思議と印象がガラリと変わった。
わかった。
音のバランスがよくないので
小さい音だと他の音に埋もれてしまって
曲の体裁をなさない部分があったからだ。
大きい音で再生した時には、全パーツが一応
聞き取れる状態になったので演奏時の感じに近くなった
という理屈であろう。

で、この新曲。

気になる部分は山ほどあるが
相変わらず筆者のドラムの安定感のないこと
といったら、瀬戸わんやさんに教えたい気持ちで一杯だ。

フジオフィーバー時代の筆者ドラミングは
web通信教育を受ける前の所謂完全なる自己流で
あったのだが、当時のライブ音源を聴くと
リズムの連続性は保たれているように感じる。
ところが、最近のdeweyでのドラミングを聴くと
線というより点に近い印象だ。

一体どういうことだろう、と考察を重ねてみたが
最近一つの結論に達した。
結論から言うと、フジオフィーバーの時も
現在も、筆者ドラムは何の進展もない
ということだ。

即ち、フジオフィーバーは所謂ロック然とした
ギターバンドであり、ベースに加えてギターが2本
という構成で、且つアンプで歪ませながら
比較的大きな音で演奏していた。

翻って、deweyはベースこそあるものの、
ギターではなくシンセであり、
ギターアンプから出る音の粒度とは
全く異質なものである。

つまり、フジオフィーバーの時は
筆者ドラミングは他の音のカーテンにうまく
マスキングされていたために
「それなり」に聴こえたのではないか。
deweyではそのカーテンが取り除かれたため
ドラミングがそのまま浮き彫りになってしまった
という格好であろう。


筆者ドラムは相変わらずへっぽこである。


平さん風に言うならば

一行で済む話だ。

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