2011/07/21

(No.1450): 林檎生八


そうか、ゴミ箱に捨てるんだった。
USBメモリとか取り出すとき。

嘗てマックエバンジェリストと後ろ指を
指されていたにもかかわらず
MacOSの操作をほとんど忘れてしまっている。
嘗てといってももう約20年前になるから
今では全く別なOSになってしまっている。

そういえば今はMacintoshとは言わないのか。
最近気付いた。
Macと呼称しているから。
昔も愛称としてマックと呼んでいたが
今でも正式名称はMacintoshBookとかなのか。
なんか違いそうな雰囲気。



そんな事実上Mac初心者の筆者は先日より
Ableton Live8をインストールして
あーでもないこーでもないと弄っている。
添付のレッスンを最初からキッチリと
学習している体である。

きっと10代とか20代の若い人なら
そんなしち面倒臭いレッスンなぞせず、
かったるいマニュアルなぞ見ずに
バンバン使い倒してゆくうちに
いつしか自分のものになっていくのだろう。

しかし四十も後半ともなればそうもいくまい。
いやいや俺だってまだまだ10代のガキにゃ
負けねぇぜッ。

いきなり音を出して触ってみた。

30分で負けた。完敗した。
何がどうなっているのかさっぱりわからない。
収拾がつかなくなったので、襟を正し、
半裸正座でレッスンファイルを開く。

職業柄、やはり論理的に理解していないと
どうにも先に進めない。
そもそも音楽とは理屈ではなく
感覚の産物であり、直感的思考であるにも
かかわらず、こればかりはどうしようもない
性分だ。
諦めてくれ。


小一時間、学習に没頭する。
アレンジビュー、セッションビューの内容は
概ね理解できた。特にアレンジビューは
Cubaseをはじめとした一般的なDAWのUIのそれと
同機能である。
問題は、このLiveの真骨頂でもある
セッションビューだ。
セッションビューとは何なのか、
理解はできたのだが、この中のクリップと
呼ばれる最小単位のパーツとアレンジビューとの
関係がイマイチ理解できない。

つまり、ここが重要で
Liveを包みこむ全体的な考え方、概念は言葉では
わかったのだが、未だ心に響いいてこないのだ。
心に響いいてこなければ、自分のモノになれない。

コンピュータシステムの仕様とはそういうものだ。
言葉ではないのだ。人の心に響くかどうかだ。


実際に音を出しながら創りながらやっていけば
ある時、ハハッ!こういうことだったのかッと
気付く時が来るのだろう。
経験上そう思う。

この歳でLive使いのエキスパートになる所存。
還暦までには。

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