2013/04/11

(No.1958): 矮小クロニクル的嗜癖の支え


気が付けばエレクトロニック音楽を
やりはじめて今年で32年になる。
大学1年だった1981年の7月からだ。
きっかけなどは既に拙屑ブログをはじめ
あちこちで吹聴しているものだから
改めて書くことはしない。

2000年くらいから電子音楽系以外の
ソウルロック昭和歌謡的なバンドで
ドラムをやり始めた。
その後、deweyでもドラムをやった。
がドラマーというよりはやはり
電子雑音響遊技師という呼称が相応しい。
だから、こう呼んでもらおう、
ドラムもちょびっとできる
電子雑音響遊技師と。左三十度で。



さて、筆者は80年代初頭、マイクと
カシオトーンとカセットデッキ2台のみで
変態ゴミ屑電子雑音楽曲を作り始めたのだが
その当初から現在に至るまで概ね変化のない
ポリシーがある。
それは「変」である。

「変」を常に意識しているが、しかし
実際には或いは客観的には
そんなに変じゃないという部分もあるのだが
想いとしては常に「変」を持ち続けたいと
思っている。

別な角度から鑑みるなら
「場違い」「マイノリティ」「売れぬ」
というワードが立つ。
意訳するなら
「聴いたことが(あまり)ない」とか
「なにこれー変なのー」とか
「なにこれーださーい」とか
「わるいけど、もういいや」とか
「もういい、やめろ」とか
「これ以上、やめろ」とか
「やめろといってるだろ」とか

そういうものが渾然一体となった
エモーションを標榜している。


このある種、嗜癖ともとれる感覚は
こと音楽だけでは収まり切れず
生活の至る所で発露していた。
それを知ったのは社会人になって
数十年も経った時だった。
(つまり、つい最近)

音楽以外のシチュエーションで
その嗜癖を持ち出すと、つまり、
ただのさぶいおっさんに映るだけなのだ。
いや、この際だから全てのシチュエーション
でと言い直そうではないか諸君。
わたしは空気の読めない、
変なオッサンなのだ。
そうだただしくさぶいおっさんなのだ。



「アー写とか何アレ ウゼーいらねーウケルー」


嗚呼、なんて最高なんだ。





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