2012/10/31

(No.1835): 電子音塊ジャングルの掟


「みんな集まれぇー!」

「ハァハァハァハァハァハァハァハァ」

「よーし、
ひとかたまりになって、俺の話を聞いてくれ
いいかみんな、今度の作戦は生きるか死ぬかの
瀬戸際の戦いだ。ほんとうーの男の戦いだ。
この作戦に失敗したら我々は二度と立ち直る事は
出来んのだ。
みんなここで男になってくれッ!」

「ハイッ!」

「では、これから前進するが、二三注意しておく。
この先は鬱蒼とした電子音塊ジャングルだ。
何が出るかわからん。そこで今から俺の言うことを
復唱して頭に叩き込むことッ いいなッ!」

「ハイッ!」

「先ずぅー、もし
stereogimmikのバビョバビョ音塊に
噛まれたらすばやくナイフで傷口を切り裂き、
急いで口で吸えッ!、言ってみろッ!」

「急いで口で吸えッ!」

「次ッ」

「いそいでぇ口で吸え!」

「次ッ」

「いそいでクチで吸え」

「よーし」


「次はー 
エ、エフオピのポロビャビュポロビャビュ音塊に
噛まれたら迅速に傷口をナイフで切り裂き、
急いで口で吸え 言ってみろぅおふッ!」


「急いで口で吸えッ!」

「つ、次ッ」

「いそいでぇ口で吸え」

「つ、ツ 次ッ」

「い、いそいでクチで、吸え」

「よし」


「つ 次ぃーぃ、もし、
deweyのギャニュジョニュビャギュリョキュ音塊に
噛まれたら傷口をナイフで切り裂き、
急いで口で吸え、言ってみろぉほ!」


「い、急いで、く、口で吸えッ」

「つつ、次ッハッ」

「いそいでぇえ口でぇ吸えぇぇ」

「しゅ、ツ 次ッ」

「イイソイデクチデスエ」

「ヨ よーし」


「行くぞーーー」

「ウをォォォぉぉぉぉーーー」

2012/10/30

(No.1834): 物語の起点


食の軍師2巻を発送したから待ってろこの
駄菓子っぽい明治フルーツオレの美味いんだか
不味いんだかわかんない味野郎がッ、
といういつもの仕込みを経て、さて、
背中のおでき先生の様子を伺いながら本日のアテを
探す毎日ですこんにちわエフオピです。



映画やドラマ、小説などこと物語に登場する
主人公や或いはその周辺の物語を左右するような人物
というのは概ね以下の立場が多い。

・下っ端
・一匹狼
・現場一筋定年間近
・天の邪鬼
・変人

鑑みると、組織、非組織にかかわらず、
「物語」を立たせるための起点となる「事象」は
やはり「現場」に多いという公式であろう。
つまりお偉いさんの机の上からでは物語は起きない
ということだ。

筆者の狭過ぎる視聴読破物を鑑みても概ね上述定石に
適っている。
すなわち

「ドールズ」:恒一郎(一匹狼)
「北斎殺人事件」他:塔馬双太郎(一匹狼)
「舫鬼九郎」:舫鬼九郎(浪人)
「ダイハード」:ジョン・マクレーン(天の邪鬼下っ端)
「相棒」杉下右京:(変人)
「パパと呼ばないで」安武右京:(下っ端)
「ウルトラマン」:ハヤタ隊員(キャップじゃない)
「ウルトラセブン」:ダン隊員(浮浪者で変人)
「サザエさん」:波平(現場一筋定年間近)

枚挙に暇がない。

しかし全てに共通することとして
彼らはただの一匹狼でも変人でも下っ端でもない。
そこには魅力ある物語を立ち上げるだけの力がある。
そういうスキルを持っている。
既成的な型にはまらないことで物語を牽引するのだ。
物語は常に非日常をまとっているからだ。

しかし例外はどこにでもある。
波平さんは日常である。
ただのおっさんだ。
ただのおっさんでも物語を立ち上げられるのだ。

諸君、物語を立ち上げよう。



2012/10/29

(No.1833): 仕事場を訪なう


H師匠のレコーディングエンジニアである
鎮Zさんの仕事場を訪なう。
メインマシンはメモリ8GB Windows7のPC。
モニターはGENELECたぶん8030Aだったか。

後ろにはモニタースピーカーADAM A3と
A8がそれぞれダンボール箱に入った状態で
積み上げられていた。

スピーカーダンボールの後方は壁一面が
CDの壁になっている。
さすがにすごい量だ。
ここはH師匠関係でチェック用として
マスターから直接焼いたやつとか。
ほほー。
ここはHさん以外の仕事用のCD。
ほほー。
普通のロックバンドもある。
ほほー。

とはいえ
やはりH師匠周辺の方々との繋がりも深く

「高円寺HIGHで」
「このまえHさん出てたんですよね」
「でも思ってたほど混雑してなかった」
「鎮Zさんも行ったんですね。知ってれば絶対行った」



それにしてもWaveLaboから直接聴けるなんて。
しかもあの楽曲群が。
しかも+5dBも底上げしても、なんてクリーンな音。
感動しながら帰路。




2012/10/26

(No.1832): 電子音楽偶因論


「食の軍師2」を滞りなく発注した振り返りざまに
乱暴にしかし計画的に脱ぎ捨てられた西伊豆の民宿
「あけぼの荘」のタオルを唯一の手掛かりとして、
昨日の夕食のカロリーを緻密に計算するという通称
「キャロリットメニュウ」というアプリを開発した
ボスニア・ヘルツェゴビナ地方行政区在住の
カッセメ・メンデスさん(41歳)と画数が一緒なので
AbletonLive8を夜な夜な立ち上げていますこんばんわ
日本の東京というところに存するエフオピです。


AbletonLive9の発表を横目で見ながら
目の前にあるAbletonLive8のセッションビューと
アレンジビューの間を行きつ戻りつする。
四半世紀もの長い間使ってきたCubaseと決別し、
Ableton島に渡って来てまだ1年と少し。
見よう見まねでここまできたがしかし、
未だにセッションビューとアレンジビューとの関係が
会得できていない。

それぞれのビューにおける仕様は理解できたつもりだ。
特にアレンジビューはCubaseの作業で培ったスキルが
そのまま適用できる。
セッションビューにおいてもクリップの概念さえ
理解できればアイデアを形作っていける。

だがそれゆえ、視点の異なる両者を同時に使って
プレイするということがいまひとつピンとこない。
どちらか一方しか使わないというのであれば
先ずは問題はないのだが。


何れにしても
手慰み的電子音楽ユニットdeweyとしては出る音さえ
ギャニュギャニュだったら過程はあまり気にしない。
だんだんと覚えていけばよろしい。
てな風な心持ちなんでござんしてぇ、
真摯にぃ音楽を活動されている諸先輩の方々にはぁ
すべっからく申し訳ねぇこって
こんな塩梅式(あんべぇしき)でやってますってぇと、
できるもんもできねぇんでやんすー
そんなわけですからぁどちら様にもぉ
万障お繰り合わせの程隅から隅までずいとぉ
おん願い申し上げ奉りまするってぇ寸法よ。

2012/10/25

(No.1831): 淘汰物語(序編)


「良い物を選び、悪い物を除くこと」
「生存に適するものが残り、適しないものは
消え去る現象」

【淘汰】

あなたが選ぶ側にいない場合、それは必然的に
選ばれる側に位置している。そして、
選ばれる側は選び出す側の評価を受ける運命にある。
そも評価基準とは、良い結果を残した実績であったり
或いはそのための努力をしたかどうかであったりするが
そもそも評価自体は選ぶ側の主観的観測によるところが
大きい。

さて、いよいよ選ぶ側の評価がくだり、
取り上げられるものと消されるものとが選別される。
ここで重要なのは、その評価が正当かどうか
ということではない。
評価の正当性、妥当性は、関係ない。
繰り返すが、
重要なのは選ぶ側の主観的観測である。


評価に値せず、残念ながらあなたは淘汰された。
時は既に遅い。



しかし、あなたは淘汰されたこと自体を
認識できないでいる。
いつものように振る舞う。
なぜなら周りとの関係も周囲の状況も
何一つ変化がないからだ。
だから、いつものように振る舞う。
しかし、変化がないと気付いていないのは
あなただけであり、
周囲の状況は刻一刻と変化し続けているのだ。
その変化に「気付いていない」という失態自体に
気付いていない。


普通、物語としてはこの辺りでおしまいである。
しかし、さて、それでは淘汰されたあなたはこの後
どうなってしまうのか。
続きを見てみよう。



あなたにとっては「淘汰」のための評価自体を
認識していないのだから怖いものなどない。
そもそも「淘汰」されたこと自体に、
いや、そもそも選ぶ側の想いや論理などにも
気付いていないのだから。
自由である。
奔放である。
気負いもなければ緊張もない。
自然体だ。
あからさまに自然体だ。
周りに左右されることはない。

そう、まさしくこの姿こそ「本来」のあなたの
姿だったのだ。
「淘汰される」ということこそ、本来の姿に
なるための秘策なのだ。


さぁ、
「あなた」を「   」と読み替えてもう一度。


2012/10/24

(No.1830): 激しく戸をたたく者あり


激しく戸をたたく者あり。
なんだどうしたと戸を開けると、
そこには退職したS君が立っている。
S君の後ろに二人の男性が見えるが
誰なのか判然としない。


S君は言う。
「たいへんです! I君がたいへんです!」
彼はそう叫ぶと、私に300円よこした。

私の手の中には鈍い銀色の100円硬貨が
3枚収まっている。
この300円の意味はなんだろう、
I君は大丈夫だろうか、
疑問や心配が積みあがってくるが
もうそこにはS君も後ろにいた二人の男性も
姿が消えている。

I君は太っているから、きっと何か
悪い病気になったのだろうか、しかし
急にそんな容体が悪化するものだろうか。

布団の中で寝返りを打つ。

I君は太っているからなぁ。
しかし、キミ、昨日まではあんなに
ピンピンしていたじゃないか。
それがどうしたっていうんだい。
いや、まて。
何もどうしたわけではないのかもしれない。
だって、S君はたいへんですと言っただけだ。

たいへんというのはいくらでもある。
ウンコが50日出ないとか
1億円の宝くじが当たったとか
カレー10人前完食しましたとか
お父さんが女だったとか
そうさ、そんなもんさ。

布団の中で寝返りを打つ。

あーでも結局300円の意味は
わからんかったなぁ。


起床。



2012/10/23

(No.1829): ラップトップライブ奇譚


今に始まったことではないが
いわゆる打ち込み系のバンド、
(打ち込みという表現が嫌いなので以下
ラップトップと表現する)
特に生楽器がほとんどないような形態に
おけるライブ手法というものの難しさ、
という課題がある。

ライブといえば、歌や演奏を中心とした
パフォーマンスという見せ場が主流だ。
「音」自体の吸引力も要素としては
存在するものの、第一義として
やはり、オーディエンスの欲求は
「人」を観たいということになるだろう。

ではラップトップライブにおける
「観せる技術」、言い方を変えれば
「魅せる技術」というものをどのように
成就させればいいのか遠い道のりのように
思えた。


そもそもラップトップミュージックの
ライブにまつわる負の要素として、
「カラオケ」的な印象をぬぐえないとする
要因が考えられる。
つまり、打ち込んだ通りに、ただひたすらに
シーケンサーを走らせて、且つ
何度演奏しても同じ演奏内容を再生する。
といった「繰り返しの保障」が
前提としてあったからだ。

生身の人間の演奏では
一期一会の価値があるのに対し、
ラップトップミュージックでは自動演奏に
よる画一性が保たれてしまうのでここに
圧倒的な差が生まれてしまう。

コンピュータ導入直後の70年代当初は
それが逆に新しさであり、
注目を集めたことは有名な話だ。

しかしだ、諸君。実感として
ここ十数年で上述のような課題が
急激に希薄化してきたように想う。
冒頭で筆者は課題と書いてしまったが
近代においては課題が課題とは
認識されなくなりつつあるように想う。


どういうことかというと、
それは文字通りテクノロジーの恩恵に
よる部分が多いだろうと推測する。
すなわち、
あらかじめ決められたコースを走るのではなく
毎回、違ったコースを取り、
そのコース自体も演奏者自ら時間差なく
設定できるという「リアルタイム性」に
重点が置かれることによって、その操作を
「演奏」と捉えることで「魅せるライブ」
として昇華できたのではないかと思う。

繰り返すがこの「リアルタイム」に
操作できるという事が非常に重要だ。

AbletonLiveのみならず、MPCサンプラーの
ようにシーケンスさせずに素材を次から
次へと繋ぐことで自らビートを紡ぎだす
技法もあるように、打ち込み音楽だからといって
ライブ演奏ができないわけはないのだ。
近代ではもはや普通のギターバンドと
なんら区別されることなく
ライブハウスのブッキングも行われている。

ただ、ラップトップライブでひとつだけ
難点があるとすれば、それは
ステージ上でTwitterやってるのか
演奏しているのか、オーディエンスからは
見えないということである。



最後に、演奏ではないけれど
演奏者のノリという「動き」もライブという
場では重要なファクターである。
それはDJを見れば一目瞭然であるし、
何より自らの音楽でノレなくてどうする。


deweyは死んでいるかのようにピクリとも
動かないので
ぜんぜん駄目ですごめんなさい。






2012/10/19

(No.1828): 量子ビットの焼き肉


「0と1だけでなく、0と1の状態の
「量子力学的重ね合わせ状態」もとることができる。」
というのは一体どのような塩梅式のことなのだろう。


ご存じのようにコンピュータで取り扱われている
情報量の単位として「bit」というのがあるが
この値は「0」「1」の二つだけである。

ところが
最近話題の「量子コンピュータ」というものが
取り扱う情報の単位としては「量子ビット」という
ものであり、これは冒頭の説明のように
0と1の状態の「量子力学的重ね合わせ状態」も
とることができるのだという。
だという。
書いてて意味がぱりさつわからん。

さっそくwikipedia先生に聞く。

量子ビット


「観測」した場合 とか、なに。
状態「0」を得る確率は とか、なによ、
確立ってどういうこと。
なんで確立なわけ。
とにかく
既存の(”古典”のという表現らしいが)
情報量の単位の概念では理解できない塩梅式らしい。


だめだ理解不能。
うれしい。


まぁ簡単に言うと、アレだ。

電子音楽とかアレ 秋編 [deweyというユニット]
2012/11/23 19:30- 20:30

平(担当: 焼き肉)
エフオピ(担当: 瓶詰め) の2名でお送りする、
ギャニュギャニュと、Ableton Liveと、iPadと、
踏んだり蹴ったりのスタジオ遊び中継。
平沢楽曲もカバー するとかしないとか。。


え?違う。
もういい。



2012/10/18

(No.1827): 第6回スタジオライブ中継の(その一)


軟弱弱小無責任電子音楽手遊ユニットdeweyが
久しぶりに屑糞まみれエレエレオルタナティブ
馬鹿テクノ三昧的Ustreamスタジオライブ中継を
やる。

2012年11月23日(金)19:30-20:30 (予定)
http://www.ustream.tv/channel/dewey-live1
一応、新しくイベント登録済み。

さて、
新たな音づくりもあるとかないとか
ギャニュギャニュな混沌をもって
そーゆースタイルなのですなんですと
繰り返し耳元で絶叫する体で送る予定が
密かに、構想として、今のところ、
今のところ、平沢進さん楽曲のカバーを
1曲程度潜り込ませてみようかという想いを胸に
先ずはAbletonLiveのアレンジウインドウを
マスターせねばなるまい、且つ、
その楽曲の演奏を思い出さねばなるまい
なりますまいといった心持ちで、
今後1ヶ月強を過ごすダンドリとしたい。

基本、ぶっつけ本番の塩梅式。
今までも、これからも。


2012/10/17

(No.1826): U35 U3C


父の遺品を整理していたら
sony nav-u U35の箱が出てきた。
ほほーこんなもの持っておったかと
箱を開けると、ほぼ未使用のものが入っている。
ビニール袋にUSBケーブルなんかもあるし
マニュアルの冊子などもきちんと入ったままだ。

クルマ用にnav-uは持っているが
この小ささはバイク用にうってつけじゃぁないか
どれさっそく充電でもしてツーリングの
準備でもしようじゃぁないか使わせて頂こうと
勇んでMacにUSBケーブルで接続する。
チャージLEDが赤く点灯し充電をはじめる。

さて、マニュアルでも見て使い方をと
思って冊子を見てみるがどうやらマニュアルがない。
おかしいなーマニュアルだけないぞ。。
しかたなく、ネットからPDFをダウンロードする。

読む。
なんだー持ってるnav-uとほとんど同じか
まぁ同じnav-uだしな・・・
だしな・・
ん?なんか、絵が違うなー
気のせいか。

そうだ、クレードルがあったな
これでマウントとかしたらどうかな、と
クレードルをビニール袋から出して
本機に付けようと、取り付けようと
ん?
取り付けようとしているのだが
合わねぇじゃん、本体とクレードルがッ。

すわ、マニュアルのnav-u U35の絵と
今筆者の前にあるこのnav-u U35を
見比べる。

って、これ別物じゃないか!
え?なに?
本体の製品情報のシールを読む。
NV-U3C」って書いてある。
えーー U35じゃないのか!

まぁこれはこれで小さくてぜんぜんいいんだけど
いや、むしろこっちの方がバイク向き。
それはいいとして、
え?そしたら、この箱の中身のU35はどこにあるの?
どこにあるのですか?
面白いからまぁいいけど。

2012/10/16

(No.1825): 言わせて二点


しかし、さらに書き加えるとすれば
あのフォルクスワーゲンUp!のテレビCM、
ウザ過ぎる。
なんで、ブレーキ介入システムを全面に
売りにしているのか、もったいないと思う。
そんな機能より、もっとUp!の全体像とか
運転席周りとか、荷物積む部分とか
「小ささ」とかベタだけど走りの雰囲気とか
そういうのを出せばいいのに、
なんでよりにもよって「わき見運転」なわけ?
あの出演者(特に女の方)の危なかったー
のあの顔ッたら、ひどいし。
演出でやらされているとはいえひど過ぎる。
あんな運転してる奴、免許取らせるな
とか、そんなムーヴメント起きないのだろうか。
せっかくイイ車なのに、もったいなーい。





天ぷら屋の匂い。
昨日の拙ブログの続編ということでもないのだが
筆者が子供の頃、実家前の幅員五間のバス通沿いの
並びに、小さな天ぷら屋さんがあった。
風物詩シリーズのプラモデルにもあるような
江戸時代っぽい店。
ここの前を通ると、それはそれは芳しい
天ぷら屋さんの匂いがしたのだ。
それは油の匂いなのだが、ぜんぜん油っぽくなくて
柔らかいこうばしい香りなのだ。

そのお店は筆者が中学生くらいの時に
閉店してしまった。
おやじさんが隠居したからだ。
ちなみに、このお店の中に
入ったことは一度もなかった。
入れないよ天ぷら屋さんなんか。
この歳になっても未だに入ったことはない。


その匂いはどの天ぷら屋さんにもあるかといえば
けっしてそうではなく、
ぬお、こ、この匂いはッ と触覚がピンと立つお店は
本当に少ない。

特にここ最近は、その数がめっきりと減った。
だから、ふいに「あの香り」が漂ってくると
刹那的に幅員五間のバス通沿いの、あの
小さな天ぷら屋さんを思い出すのだ。



2012/10/15

(No.1824): 街の点景


筆者が4歳とか5歳だから昭和42、43年とか
だいたいそのあたり、記憶の片隅に、
しかし鮮烈に今も残るお店。
筆者実家の前は幅員五間のバス通りで
私鉄駅まで通じている。
その商店はその道沿いにあった。
何屋だったのだろう。今思い返すと判然としない。

木造平屋。黒褐色の木造。
正面は木の格子でガラスがはめてあって
全面が戸になっているいわゆる
昭和の商店の作りだが、そこで商っていた品物は、
日曜大工の工具とか金物とかそういった部品の
たぐいだった。
今でいえばホームセンター的な品揃え。

幼少の頃の記憶では、とにかく暗い店だった。
陳列棚も木で作られていて黒とかこげ茶とか
そんなカラーしか思い出せないくらいだ。
お店の中は薄暗くて、工業用の油の匂いがしていた。
しかし決して嫌いな匂いではなかった。

日曜にはよく父親に連れられてその店を訪なった。
覚えているのは、戸のレールにかませる車輪などを
購入していたことだ。
子供にとっては見た事もない機械とか
薬品とか様々な小物金具とか、実は筆者には
ある種のワンダーランドだった。
だからその店に行く事は楽しいのだが、しかし、
反面、恐ろしい場所という想いもあったのだ。
なぜなら店主のおじさんは傴僂男だったからだ。
今思えば背骨の病気だったのだろうと想像はつくが
当時幼児だった筆者にとっては恐ろしい対象だった。

工業用オイル臭に包まれた薄暗いお店の中を
極端に丸まった背中でひょこひょこと歩く姿が今でも
脳裏に焼き付いている。

数年後だったか十数年後だったか定かではないが
気付いたらそのお店はなくなっていた。
あとかたもなく。

その幅員五間のバス通りには、筆者が子供だった時に
存在したお店はまだ数店舗は残っている。
その残っている全てのお店は息子や娘が跡を継いで
代替わりしている。だから感慨も深い。
しかし、同時になくなっていったお店もまた多い。

そういう循環が街の景色の移り変わりなのだろう。

2012/10/14

(No.1823): 次峰フェンダーレスの旅


ナップスにて。

「こんにちはドカティモンスターろくきゅうろくの
フェンダーレスキットを探して旅をしている者です」
「た、旅?」
モトクレイジーのフェンダーレスキットを取り寄せて
取り付けは出来ますでしょうか」
「(PCでなんか調べながら)はい、できますよ」
「実はですね」
「はい?」
「実はですね、私のモンスターろくきゅうろく、
後ろのウインカーが折れているのです」
「折れているんですか」
「折れているのでこの際だからフェンダーレスに」
「はぁはぁなるほどそういうことですね」
「ところがです」
「はい?」
「ところがです、このモトクレイジーの
フェンダーレスキットの説明を読むと、
リフレクターとウインカーはそのまま流用するとあります」
「なるほど、ウインカーが折れているけど大丈夫か
ということをk」
「(話しを遮りながら)私のはウインカーが折れている
のでその辺りは大丈夫なんでしょうか、
ということもひっくるめてのご相談というスタイルです」
「わかりました、その辺りも含めてメーカーに
問い合わせをしてみます」
「今、今日、実車が下の駐車場にありますので
ウインカーの折れ具合なぞどんな塩梅か
確認して頂けますでしょうか」
「あーいいですよ、今から見てみましょう」

店員さんとともに我が
六級改号[ducati m696]左衛門之介の
ウインカー折れ具合を確認する。

「ここがこうして折れていてガムテでぐるぐる巻と
こんな塩梅式です」
「ははーよくなおしましたね」
「直したというか、曲がってます。このつなぎ目の
部分でぽっきりと折れているので、このウインカーは
フェンダーレスキットでは使えないのではと・・」
「おそらくこのウインカーは最中式になってて
リアフェンダーの一体成形のウインカーの部分で
挟み込まれているという構造だと思います」
「それはつまり」
「はい、使えないということになります」
「終了しました」
「先ずはディーラーでウインカーを直すところから
になります」
「終了しました」


だからウインカー込みのフェンダーレスキットを
探してみた。

Moto Veloce フェンダーレスキット



R&G フェンダーレスキット



引き続き、調査。

2012/10/13

(No.1822): チェーン三部作(完結編)


天高い蒼空に筋状の雲が幾重にもたなびき
下界では馬が肥えてくるという伝説の通り、
六級改号[ducati m696]左衛門之介に跨がり
いつものドカ屋(ドカテートキオウエスト)へ
チェーン交換の儀の手配のため訪なう。

先日の電話予約時の通り、流れるように
ダンドリが組み立てられており、
あっさりと引き渡しは完了し、
ショールームの方で作業完了までしばし待つ。

試乗車用としてお店前に1199 Panigaleが
止まっていたが、筆者はそれよりも
ショールーム内にあったMonster Dieselに
目が釘付けとなった。





Monster Dieselは排気量が1100ということも
あり、筆者の696とはエンジン周りの構造も
微妙に違うのだが、何よりDieselのセンスを纏った
この美しい形状に思わず息をのんだ。
飾っておきたいと思える程の美しさに
これで思いっきり駆りまくって
豪雨の中とかでも駆りまくって
炎天下の中とかでも駆りまくって
吹雪の中とかでも駆りまくって
ぐちゃぐちゃに泥だらけにしてみたい
おいアイツ見てみろよモンスターディーゼル
こんなに汚してもったいない馬鹿糞野郎
むふふーんと妄想を巡らしていると
傍にあったスペック表示パネルが目にとまり
そこに記載の金額にも思わず息をのんだ。
154マンエン。(うろ覚え)
禿げそうなお値段だ。

抜けた毛髪をかき集めていると
チェーン交換終わりましたー
と、担当メカさんがにこやかにすり寄ってきた。



交換した六級改号[ducati m696]左衛門之介を
前にしばしメカさんとチェーン談義をしたが
ためになることを伺ったので以下単文にて
記載しておく。

基本、チェーンクリーナーは使用しない。
揮発性が低いので、使用した場合最低でも一日は
放置しておき、すぐにルブを拭かないこと。
でないとルブが落ちて、走ると車体中に飛ぶ。
どうしてもチェーンクリーナーを使用する場合は
ウエス側につけてウエスで根気よく拭くこと。
直接チェーンにかけてはだめ。

マジですか?ずっとクリーナー吹いて、直後に
ルブ付けてました。チェーンに直接吹き付けてました。
だから飛びまくって汚くなったのですね。

ルブの付け方。
チェーンの内側に吹く事。ウエスで軽く拭く。





新しいチェーン。
DID 520VX2のゴールドにしたのだが、
どうも金色というのは
性に合わないなどと思っていたが
そんなことどうでもよくなるくらい
気持ちよくなった。
何、この軽さ。取回す時の車体の負荷が
ぜんぜん違う。軽過ぎ。
当然、エンジンの負荷にも影響するだろうから
走り性能は向上しているとみていい。
実際、走行するとアクセル開度に比較して
いつもと違う速度感フィーリングを感じる。
こんなに変わるんだチェーン性能で。
めでたしめでたし。


2012/10/12

(No.1821): MiniBruteへの死角


いい歳をしたおっさんが滅茶苦茶な日本語とも
つかない言語を勝手な文法で組み立てたあげく、
意味不明で読み取れず、且つ目的も主張も
全て理解不能な出鱈目糞屑ブログをお探しのあなた、
それはここにあります。

日々の日常に埋もれながらも分別を踏まえ
しっかりと「音楽」をされている方々が眩しくて
直視できない毎日ですこんにちは。


さて、Arturia MiniBruteであるが、
筆者にとって久々に電子楽器嗜好琴線に
ビノビノと触れる。
その理由は機能云々ではなく面構え的なものが大きい。
全体のバランスとノブ類フェーダ類の配置
鍵盤数、色。
いいじゃないか。
だいたい機能で言ったらだいたいキミ、
モノフォニックじゃぁないか。
単音。
いいじゃないか。
もちろん面構えにも勝り、
出音の完成度にも二言はない。


同じ価格帯でぶつけて来たRoland SH-01の方が
機能的にははるかに上回っているだろうが、
なぜか琴線にはほとんど触れないのだ。

その理由は、面構えに他ならない。
諸君はなんと勘違いな理由なのだろうと思うかも
知れないが、真実としてそう想うのだから
仕方がない。
おそらくSH-01の方がいろいろな場面で
しこたま重宝しそうな予感もする。
出音だって良いに決まってる。

かたやMiniBruteにおいてはある程度
限定されることだろう。
なんせ構造がアナログ回路であり、そして
モノフォニックだから。
しかし、
逆に限定的なほうが面倒臭くなくて良い。
面倒臭くないということは発想力が阻害されない。
万能なほどそれを使う人の技量に左右される。
従って、筆者のような非凡野郎には単機能がいい。
その限られた中での発想が気持ちいいのだ。






しかしここで重大な決定を
下さなければならないことを知っている。
その分の資金は全て六級改号とパンダ車先生へと
流れる仕組みであることを知っている。


たはッ

2012/10/11

(No.1820): チェーンのみの役職


やっぱりさールパン三世は1971年の
TV第1世代のオープニングの
ルパンルパンルパンーって曲が
一番いいよねと耳打ちするもんだから
ドカ屋さんに電話をする。

「チェーンとスプロケットを交換します」
「5万円です」
「やめます」


車検の時に部品代が20%OFFになるという
マジックを聞かされていたので
あと2ヶ月で車検ですがそれまでは到底
チェーン様はもたないのではないかと、
2ヶ月あればきっちり1000Kmは走るものと
確信しております何か方策はないものでしょうか
と問うそばから、今回はチェーンのみを
交換という塩梅式では如何でしょうかと
畳み掛けられて参りましたので
すわチェーンのみで宜しくお願い申し上げる
ついでにチェーンはアレねDIDのなんちゃらって
いうゴールドメッキ的なアレでひとつ
お願いするでござる。


さてモンハンモンハン。


2012/10/10

(No.1819): チェーンの交換が必要です


”チェーン” ”交換” でググってこの辺境の地へ
辿り着いてきた諸君、ごきげんよう。
しかし着いて早々なんなんだが、
残念ながらここには諸君の渇望している答えは一切ない。
あるのは、緻密な計算に彩られた難解な変態文章のみだ。
それでも諸君が正しいと選択するなら私は止めはしない。
さぁきたまへ、NeoProseの世界へ。


Q チェーンは何キロで交換が必要ですか?
A メンテナンスされた状態で約15,000kmが目安です。


我が、六級改号[ducati m696]之介左衛門の現在までの
走行距離は17,700kmになんなんとし、しからずんば
交換の儀を滞りなく段取ろうとする矢先、くだんの
ドカ屋トウキョウウエスト様の定休日(毎月第二火曜と
水曜日は連休となります)において、いよいよ
地団太を踏み鳴らし、斯様な道理が通るなら
いっそ電子メールにてその想いを改めて、すなわち
チェーンのみならず当然スプロケットも交換するので
ござる的な言い回しを丁寧に繰り広げた末、
且つ前後の丁は変えずに純正品で対応するんだじょ的で
且つチェーンはメーカーは純正品と同じDIDとしながらも、
す、少し、わ、僅かなグレードアップとしたいのですから
すなわちゴ、ゴールドメッキなんちゃらとか
シ、シルバー何某とかそんな塩梅式のアレ

アレしてちょうーだい(財津一郎のモノマネで)的旨を
隣家住宅の屋根伝いを回転しながら唱える様子。



(現代隠語諸事大辞典より)
「チェーンとスプロケをとっかえる」の意味





2012/10/09

(No.1818): 結局MTの話になっちゃう話


VW Up!
非常に筆者好みである。
どこがいいか。
先ずは大きさだ。
なんつったって小さい。この小ささは素敵だ。
小箱。こばこ。
でも
小さくて燃費も良くって環境に優しいうんぬん
とか、エコエコとかどうでもいい。
むしろウルサイ、邪魔。
邪魔だけどかかわらないからそのままでいいや。
話を戻す。
個性的なリアビューもフロント面構えも好き。
小さくても肉厚で硬性のありそうなボディも
VW車というアイデンティティを感じる。
0.999L 直列3気筒。
3気筒って、いいぞ、実にいい。
75馬力。いいぞ。
1トン未満、うむ、魅力的だ。

と、ここまではいいのだが

しかーし、しかしだ、残念ながら
以下の三点が筆者的にはどうにもこうにも駄目だ。
駄目なんだ。



(一つめ)
直接クルマには関係ないとはいえ
テレビCMのダサさ。
なんだアレ。
イメージ台無し。
というか、わき見運転してんなよ。
ちゃんと前見ろ。
基本だろう。
だいたい誰だよアイツラ(クボタ何某とか)
「あんた誰れ」谷啓さんの歌を
フルコーラス熱唱したい心持だ。
いやいや失礼。
クボタ何某さんはただの出演者だから
ぜんぜん駄目じゃないんだけど
だから逆にかわいそうな気がしてきた。



(二つめ)
その、わき見運転してても衝突する前に
ブレーキをかける機能。
最近、流行っているのか、くだんの
スバルのアイサイト的な先進技術。
その技術にはありったけの敬意を払う。
この機能のおかげで事故が防げるかもしれないし
きっと命も救えることだろう。
しかし、そういうことを前提としても
筆者の選択肢にはそれは、ない。
従って、選ぶことはない。



(三つめ)
マニュアルシフトの設定が日本仕様車にはない。
これが筆者が想う駄目な原因の最大の理由だ。
同じクルマでもオートマチックとマニュアルでは
もうぜんっぜん意味が違う。
まったく別な乗り物だ。
本国仕様車には5速マニュアル設定がある。
なぜ日本でそれが出来ないのか。
日本ではマニュアル車は売れないからだろう。

オートマチック車をなくせといっているのではない。
日本でのオートマチック車の需要は間違いなく
99%に近いだろうから当然のことだ。
しかしせめてマニュアルの設定を低級グレードで
いいから、むしろ低級グレードで
残しておいてもらいたかった。
輸入したり整備したり在庫したりのコストが
売上に見合わないのだろうという大人の事情は
わかるが、心意気を示すのは
こんな時しかないんじゃないかキミ。

最近の電子デバイス化された自動車で
マニュアル車の意義とは。
いや、マニュアル車はマニュアル車だ。
つまり、ギアを1速に入れて左足で
クラッチつなげないと走らない、
という基本的な操作は変わらないはずだ。

嘘だと思うならやってみるがいい。
アクセルを踏まずに、
クラッチをポンとあげてみさない。
エンジンは止まるんだよ。



(番外編)
ハッ、まさか、例の追突防止の機能というのは
オートマチック車だからという事なのか。
オートマチック車の誤操作防止も兼ねているのか?

ブレーキとアクセルを踏み間違えましただと?
ギアがRに入っているのがわかりませんでしただと?
そのための「追突防止の機能」なのか。
(日本仕様は全車標準装備だけど
本国仕様のマニュアル車にもつくのかしら?)

クラッチ操作もギア操作もないんですから
もっとちゃんと運転してください。
宜しくお願い致します。


2012/10/08

(No.1817): 三鋒を囲む


それではこの連休週末における事象数点を
簡潔にお送りするべく、いささかの鞭撻をもって
以下にしたためる。



先鋒
六級改号ducati m696何某のチェーンは
交換したほうがいいに決まってる事象。
この曲がり方は何点でしょうか。
(答え 38点)






次鋒
ついにコンプリートしたことにより
それはただの物体ではなく次元を越えた
想念の波動を得たことになる事象。
しかしより完璧をきすならオプションで
あと二つのしかし偉大な波動を浴びて
本当のコンプリートになるだろう。
それは近い。






結鋒
あのロジックを、スケジュールを捻り出している
最中でも、ここにこうして存在しているという事象。
毎日の労働中もこの景色は変わることはなく、
フナムシと潮と貝がらの点景は現時点と
同期している錯覚を捉える。





2012/10/06

(No.1816): YMOBGMRAPPhenomena


1981年に発表されたYMOの2枚のアルバム
「BGM」と「Technodelic」は今更言うまでもなく
筆者の血肉の根源であるという話しは
もう何千回も繰り返し書き記してきたので
出たよおいおいまたオッサンの昔話しかよクソしね的な
感想を心底頂きたくこうして再びそんな塩梅式の
垂れ流す想いを書き記すべく
こんな動画を貼ってみたという体でお送りしている。




ほんと、このアルバムすごい。
筆者はテクノデリックも大好きだけど
どちらか選べと言えばBGMだ。

筆者は実は1981年当時、BGMの中では人気薄だった
「ラップ現象」という曲の格好良さに打ちのめされていた。
YMOファンでさえ良い評価は聞かない曲だが
一般人に聴かせるとそれは酷いものだった。
なにこの曲お経?とか、
こんな変な曲のどこがいいのかわからんとか、
あんた頭おかしいんじゃないのとか
嬉しいことにボロクソだった。
難解な詩、妙齢な甘い16分シーケンス、
一聴すると変拍子かと感じてしまうが普通の
4拍子だったりするリズムとか、
細野さんの加工ボイスがまたえらくかっこいい。





2012/10/05

(No.1815): NeoProse概論


「これが今話題のNeoProseだ」
さて今週はンネットで話題になりつつある
NeoProseを描き続けているエフオピさんに
お話を伺います。
ところで冒頭のンネットって誤字だと
思った人がいるでしょうが、これは
誤字なんかではないのです。
逆行を含めましてのスタイルとなります。

さて
先ずはNeoProseの成り立ちについてお伺いします。
どのような意識を持っていらっしゃいますか。

エフオピ
「流れが大切であります。万事は流れなのです」

それは颯爽とした流れですか、それとも
混沌とした流れでしょうか。

エフオピ
「療法です。これは両方と書こうとした誤字では
ないことを前提に詳しくお話ししますと
次のようになります」

ははぁつまり、全ては見方の技法なのですね。

エフオピ
「少し違いますが合っています。要するに、
ポ、ポ、ポ、ポイントオブヴィユーに結実するのです」

それは、例えばコンビニ店員に顔を覚えられてしまう
といったような現象も含めてですか?

エフオピ
「初期の頃ならそれも許されていたのですが
ここ千年の間では必ずしも含めるとは
限らなくなりました むしろ、・・・」

むしろ?

エフオピ
「むしろその現象の造作について的確な編集と
歩合のいい添削を与えるような塩梅式を良しとする
そんな評価が万事の流れを左右するという説が有力です」

それは核心に近づいてきたということでしょうか。

エフオピ
「ええ、流れが大切であります。万象は流れなのです」





2012/10/04

(No.1814): 問5 換算の条件


考えてみれば当たり前ちゃぁ当たり前、
すなわち、この夏、数え切れぬほどの
豪雨走行を繰り返し、
その散々と雨に濡れた車体においてさえ
西伊豆の民宿でもらった安タオルで二、三回
拭くマネをしているだけの体であるから
どうしたって、そのチェーンに
六級改号[ducati m696]之介左衛門の
そのうだつの上がらないチェーンに
その評価されない平社員のチェーンに
さ、さ、錆が浮かないはずがなかろう君。

昨晩に台風何某が何処へと通り過ぎました
という塩梅からして、今朝の流れる雲の合間に
陽の光も射そうという頃合にてその日差しの下、
そのうだつの上がらないチェーンの
その全く評価されない平社員のチェーンの
コマとコマの繋ぎ目のビスに
じくじくと赤茶けた、さ、さ、錆が
浮き上がっていたという塩梅式を
目の当たりにし、今すぐにでも
たった今、この場で、しゃがみこんで
たった今、ここで、
チェーンクリーナーとチェーンルブにて、
メインテナンスを滞りなく推し進めたい衝動を
グツと堪えるのに要したエネルギーを和三盆に
換算したらいくらになるか答えなさい。




2012/10/03

(No.1813): 金木犀の重殻


おい、
六級改号[ducati m696]左衛門よ、
ジーゼルもといディーゼルもといDieselの
あの佇まいなど気にするな、
だって街のあちこちで金木犀の香りが
仄かに流れているではないか、
なぁ六級改号[ducati m696]左衛門之介よ、
なに、きんもー擬人化?それって擬人化
擬人化なのね(エ)ネゴリ勲(くん)、
なに、おいそれとは言わさんぞ、
おいそれとはな、
おぬしの言うとおりなぞ、いかぬわっ
このたわけめッ、だって、キミ達、
か、香っているだらう、
も、も、もっと香ってみたまへ、
こっちへ来て、も、もっと香って
み た ま へ
街のあちこちでキンモクセイの匂いが
香っているだらう、
そんなことよりキミ、
そんなことより
読みやすく行間を開けたらどうなんだ
どうなんだよ、どうなんだといっておる、
っていうか、
そもそも読みやすくねぇじゃん糞ブログの
くせに、とか言ってるうちに、
ほらみろ、
こんなになっちゃったって
抜群の瞬発力を見たい人は
今からこっちに来てください
今日のラジオ体操は
沸騰の中でお願いしまーす、いや、
キミそりゃ話が違うだらう
そんなことしちゃいかんよ、
そこで初男は目覚めた、
ハタッ、夢だったか
なんていう夢オチを期待していた男の話を
今から話して聞かせようと思っていたのだが
そろそろお時間がまいりました
このあたりで
このあたりで
暇乞いをさせてもらえんだろうかという趣旨の
タンタルコンデンサを作っている老人を
君は知っているか。


1908年「ナッセ堅と金木犀」より(再編)



2012/10/01

(No.1812): 神無月の謎


神無月である。カンナヅキと呼称する。
神様がいなくなるという説を受けるとすれば
日本全国の八百万柱の神々が
これからの一年を決める大会議を執り行うために
出雲大社へ詣でるといわれている。
ご存じの通り出雲大社は日本で最も古い神社の
一つであり、メインにお祀りしている神様は
大国主命(オオクニヌシノミコト)である。

大国主命はすなわち国津神系であり、
国津神系の祖といえば、建速須佐之男命
(スサノウノミコト)である。
ちなみに
スサノウの数代先の子孫が大国主命である。


ところで、
現世における神社には二系統あるのを
ご存じだろうか。
すなわち上述のスサノウや大国主命を祖とした
国津神系をお祀りしている神社、
それとは別に祖を天照大神(アマテラスオオミカミ)
としている天津神系をお祀りしている神社である。
ちなみに天皇家は天照大神を祖としている
天津神系である。

とはいうものの、現代ではっきり区別している
神社はそう多くないと聞く。
つまり天津神系の神様と国津神系の神様の双方を
お祀りしているケースも多いのだ。


スサノウとアマテラスは兄妹である。
アマテラスはお姉さん、スサノウは弟だ。
(実は三人兄妹で、アマテラスとスサノウの間に
ツクヨミというお兄さんがいる。
スサノウは末っ子だ。)

以下有名な神話。
大幅に端折って解説する。

詳細ははぶくが、スサノウとアマテラスの
兄弟喧嘩(天の岩屋に隠れた件)の末、
スサノウは野に下る。降りた先が出雲である。
そこでヤマタノオロチ退治とか諸々あって
出雲を統治するのだ。

そこへアマテラスが高天原から降りてきてこう言う。
「ちょっとぉアタシがそこもらうからアンタ出てってよ」

スサノウ(国津神)は、断るのかと思ったら
「はいはいそのかわり立派なお家を建ててくらさい」

なんて、おいおい意味わかってるのか的なことを言って
あっさり明け渡してしまう。
これがいわゆる「天孫降臨」である。

ということになってはいるが
実際は大戦争になって奪い取った説もアリ。
いまの天津神系の牛耳る図式からして
良いことしか書き残さない的な塩梅式の説。


しかし、
そんなこんながありながらも国津神系の出雲は
未だに一目置かれる存在であり、
現世では天津神が統治したにもかかわらず
神無月という呼び方が示す通り、日本全国の
八百万柱の神々が出雲へお集まりになるのである。

八百万の神々の中には当然天津神もおられる。
あのアマテラスさえも出雲へ赴くという。
ただし、最後に来て、最初に帰るのだそうだ。
さすが姉貴。