2012/10/23

(No.1829): ラップトップライブ奇譚


今に始まったことではないが
いわゆる打ち込み系のバンド、
(打ち込みという表現が嫌いなので以下
ラップトップと表現する)
特に生楽器がほとんどないような形態に
おけるライブ手法というものの難しさ、
という課題がある。

ライブといえば、歌や演奏を中心とした
パフォーマンスという見せ場が主流だ。
「音」自体の吸引力も要素としては
存在するものの、第一義として
やはり、オーディエンスの欲求は
「人」を観たいということになるだろう。

ではラップトップライブにおける
「観せる技術」、言い方を変えれば
「魅せる技術」というものをどのように
成就させればいいのか遠い道のりのように
思えた。


そもそもラップトップミュージックの
ライブにまつわる負の要素として、
「カラオケ」的な印象をぬぐえないとする
要因が考えられる。
つまり、打ち込んだ通りに、ただひたすらに
シーケンサーを走らせて、且つ
何度演奏しても同じ演奏内容を再生する。
といった「繰り返しの保障」が
前提としてあったからだ。

生身の人間の演奏では
一期一会の価値があるのに対し、
ラップトップミュージックでは自動演奏に
よる画一性が保たれてしまうのでここに
圧倒的な差が生まれてしまう。

コンピュータ導入直後の70年代当初は
それが逆に新しさであり、
注目を集めたことは有名な話だ。

しかしだ、諸君。実感として
ここ十数年で上述のような課題が
急激に希薄化してきたように想う。
冒頭で筆者は課題と書いてしまったが
近代においては課題が課題とは
認識されなくなりつつあるように想う。


どういうことかというと、
それは文字通りテクノロジーの恩恵に
よる部分が多いだろうと推測する。
すなわち、
あらかじめ決められたコースを走るのではなく
毎回、違ったコースを取り、
そのコース自体も演奏者自ら時間差なく
設定できるという「リアルタイム性」に
重点が置かれることによって、その操作を
「演奏」と捉えることで「魅せるライブ」
として昇華できたのではないかと思う。

繰り返すがこの「リアルタイム」に
操作できるという事が非常に重要だ。

AbletonLiveのみならず、MPCサンプラーの
ようにシーケンスさせずに素材を次から
次へと繋ぐことで自らビートを紡ぎだす
技法もあるように、打ち込み音楽だからといって
ライブ演奏ができないわけはないのだ。
近代ではもはや普通のギターバンドと
なんら区別されることなく
ライブハウスのブッキングも行われている。

ただ、ラップトップライブでひとつだけ
難点があるとすれば、それは
ステージ上でTwitterやってるのか
演奏しているのか、オーディエンスからは
見えないということである。



最後に、演奏ではないけれど
演奏者のノリという「動き」もライブという
場では重要なファクターである。
それはDJを見れば一目瞭然であるし、
何より自らの音楽でノレなくてどうする。


deweyは死んでいるかのようにピクリとも
動かないので
ぜんぜん駄目ですごめんなさい。






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