2012/10/25

(No.1831): 淘汰物語(序編)


「良い物を選び、悪い物を除くこと」
「生存に適するものが残り、適しないものは
消え去る現象」

【淘汰】

あなたが選ぶ側にいない場合、それは必然的に
選ばれる側に位置している。そして、
選ばれる側は選び出す側の評価を受ける運命にある。
そも評価基準とは、良い結果を残した実績であったり
或いはそのための努力をしたかどうかであったりするが
そもそも評価自体は選ぶ側の主観的観測によるところが
大きい。

さて、いよいよ選ぶ側の評価がくだり、
取り上げられるものと消されるものとが選別される。
ここで重要なのは、その評価が正当かどうか
ということではない。
評価の正当性、妥当性は、関係ない。
繰り返すが、
重要なのは選ぶ側の主観的観測である。


評価に値せず、残念ながらあなたは淘汰された。
時は既に遅い。



しかし、あなたは淘汰されたこと自体を
認識できないでいる。
いつものように振る舞う。
なぜなら周りとの関係も周囲の状況も
何一つ変化がないからだ。
だから、いつものように振る舞う。
しかし、変化がないと気付いていないのは
あなただけであり、
周囲の状況は刻一刻と変化し続けているのだ。
その変化に「気付いていない」という失態自体に
気付いていない。


普通、物語としてはこの辺りでおしまいである。
しかし、さて、それでは淘汰されたあなたはこの後
どうなってしまうのか。
続きを見てみよう。



あなたにとっては「淘汰」のための評価自体を
認識していないのだから怖いものなどない。
そもそも「淘汰」されたこと自体に、
いや、そもそも選ぶ側の想いや論理などにも
気付いていないのだから。
自由である。
奔放である。
気負いもなければ緊張もない。
自然体だ。
あからさまに自然体だ。
周りに左右されることはない。

そう、まさしくこの姿こそ「本来」のあなたの
姿だったのだ。
「淘汰される」ということこそ、本来の姿に
なるための秘策なのだ。


さぁ、
「あなた」を「   」と読み替えてもう一度。


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