2010/11/07

(No.1251): カプセルと人の想いと


導入した直後、twitterなんてどこが面白いのだ
と思っていた。
そもそも面白さを検証するために始めた方も多いだろう。

筆者も同様で、というより、twitterって
どんなことが出来るのだろうか、
どう関わっていけるのだろうか、
そんなことを漠然と思いながら、いや、
実際はテキトーに鼻くそほじりながら
つまんなかったらやめりゃいいや的実験として
やりはじめた。

一つわかったことがある。
フォロー数が増えてくることでタイムラインの様相が
着実に変化してくるのだ。
筆者の場合、嗜好ベクトルが同一の方、そうでない方
まったく未知の方、或いは企業、といった
単一的ではないので、タイムラインの粒度が
千差万別で激しい。

しかし、それこそが狙いの一つなのだということが
段々わかってきた。
整理されない情報というか、井戸端会議ネタというか
街の声というか、そういうリアルでライブな
「人の想い」を知ることができるという体験。
この体験が、先ずは出発点なのだろう。


ある説によるとフォロー数は最低でも100人は
必要だという。
でないと本来の機能を発揮し始めないのだという。
筆者は現時点で70人ほどであるが、
60人を超えた辺りから、何やら今までの流れとは
少し変化が出始めたと感じた。
何が、どう変わったのか。
それがよくわからない。

タイムラインの進み方は早くなった。
当然人が増えたからだ。
タイムラインが早いと、流れて二度と目にしない
「つぶやき」の数も増えてくる。
そんなことは、むしろ、本来の機能を
そぎ落としてしまっているのではないか
という気持ちにもなる。
しかし、それが変化の一部であることは
間違いないと感じている。
どんな台本の元、この劇は続けられているのか。



万を超えるフォロー数のタイムラインとは
如何なるものか。
一瞬たりとも止まっていない。
常に流れ続けるのだろうか。
そこにどんな意味があるのか。

人の想いの視覚化、
流れ続けて、消えていく意味とは。

0 件のコメント:

コメントを投稿