2011/08/02

(No.1460): 富士虚脱


あっという間の3日間。
前夜祭も入れれば3日半。
既に新しさも感じなくなったフジロックだが
もう参戦回数10回くらいか?9回か?

どこに何があってどうなっているのか
全て承知している。
ちょっとづつ進化はしているが
概ね構造は変わっていない。

なんであの地に帰りたくなるのか。
あの3日間のために1年があるようだ。
フジロック中毒者は皆口を揃えて言う。

mixiのフジロック・コミュの
トップページには次の一文が掲げてある。

【ケミカルブラザーズに
「フェスティバルと呼べるのはグラストンベリーと
フジロックだけだよ」とまで言わしめた
日本が誇る文化】

恥ずかしながら筆者はフジロック以外のフェスに
参加したことがない。
サマソニ、ライジングサンなど。
他のフェスがどんな塩梅なのかよくわからないので
他のフェスとの比較ができない。


ただ、フジロックで思うのは音楽だけではない
ということだ。
とはいえ、もちろん音楽が必ず中心にあるのは
間違いない。
重要なのはそれを取り巻く様々な環境が
人に「生」の実感を与えていることだと思う。
つまり、先ず、前提は自然の中にあるということだ。

雨は降るし、暑かったり寒かったりする。
どちらかというと苦しいことのほうが多いだろう。
エアコンつけてへらへらと家の中でソファーに
寝転がって、音楽DVDでも観ていたほうが
なんぼか心地良いと思う。

しかし、わざわざ、山の中まで出かけて行って
人混みが尋常じゃなくて、当然雨が降って
泥だらけになって、ほんとうにぐちゃぐちゃの
泥だらけになって、虫に刺されて、寒くて震えて、
暑くてふらふらになって、トイレは長蛇の列、
アップダウンのある山道を
痛い足と腰を引きずりながら登り降りして
一番遠いステージまで移動時間へたすりゃ
1時間以上はみないとだめだ、
でも重低音で体が揺さぶられて、
超絶プレイが生まれる瞬間を見て、
知らない人たちと同じベクトルで叫ぶ。

そういう営みがフジロックなんだと思う。
辛いほうが楽しいってまるで
真冬のオートバイの感覚に近いか。










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