2011/09/20

(No.1502): 夏夕鮮烈


上信越道を走る。
かくして点景を箇条に書く。
すなわち
高速道路は暑くて溶けそうだった。
一転して菅平高原はまるで
サイレントヒルだった。
一面の霧で視界12m
エンジンを切ると、無音だった。
すこぶる涼しい。

降りて群馬県に入ると
崑ちゃんのオロナミンC看板を発見。
巨人の星版だった。
素のままの状態は極めて珍しい。




母方の実家。東京都北区十条。
十条銀座から環状七号線を渡った
外側に実家はあった。

昭和40年代頃、この辺りは民家が
密集しており、屋根を一とした
長屋棟が数多く存した。
母の実家もそんな長屋の中にあった。
長屋と長屋の隙間には細い道が
網の目のように走っており
人の家の勝手口や部屋の中が
丸見えだった。

筆者には所謂「故郷」とか「いなか」
というものがない。
生まれも育ちも東京多摩地区であり
父方の祖父母も同じ家に住んでいた。

だから筆者にとって「いなか」的感覚は
母方の実家、東京北区十条なのである。
本当は筆者の住んでいるところの方が
環境的にはぜんぜん「田舎」なのだが。

小学校3~4年の頃、
夏休みにはよく遊びに行き、
2週間くらいは長逗留した。
年の近い従兄弟(兄妹)達がいたので
退屈はしなかった。



そんなある夏の夕暮れ。
といってももうすぐ午後7時を
回る刻限だったと思う。
家人は皆出かけており、いるのは筆者と
三つ上の従兄弟のお兄ちゃんだけ。

長屋なので、玄関というものがない。
引き扉を開けるとこあがりの後に
すぐに居間だ。
夏なので、全部扉は開けっ放し。

そこへ突然、見知らぬおじさんが
居間に上がり込んで、何か叫んでいる。
びっくりして階段を駆け上がり
二階で様子を伺う。
(二階建ての長屋)
もう半泣きだ。

お兄ちゃんが、
「大人を呼んでくるからここで待ってろ」
と言い放ち階段を駆け降りて、
勝手口から飛び出した。

もう怖くて怖くて泣き声を殺して
二階の階段の上で震えていた。
暫くして、そのおじさんは出ていった。
そのあと、大人から聞いた話だが
この辺りには異常行動をする人がおり
或いは風呂場を覗かれたりすることも
多かったというし、
それがこのおじさんなのか
わかるはずもないが、
まぁそういう事らしかった。

子供心でなくてもすごい事件なのだが
今思うと、変な人が来たくらいの感じで
この時間は変なのうろついてるんだよねー
とか
あっはっはっはー怪我がなくてよかった
とか
時代なのかこの街の色なのか
わからないが、大人はそんな対応だった。

この記憶は鮮烈で、しかし詳細ではなく
恐怖、夏の夕、空気感、匂い
みたいなものを覚えている。








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