2012/02/07

(No.1628): 1983年のシビレた話


昨夜の加藤賢崇さんサエキけんぞうさんの
けんぞう-けんそうのHELLooニューウェイヴ

ほぼ30周年USTREAMを拝見する。
毎週?やっていると思われるが今回初めて
拝見した。
先日お亡くなりになった川勝正幸さんの追悼
スペシャルであった。1980年初頭から中盤に
かけてのニューウェイブシーンの舞台裏、
表のお話しは、リアルタイムに体験した
我々世代にとってはひどく濃い内容だった。
完全に筆者が電子音楽人に傾倒する
タイムラインと合致しており大変興味深く
聴かせて頂いた。

特に1981年は筆者が完全にテクノ人になった
年で、それに続く1982年83年そして84年は
筆者が大学生だった時期と重なっており
今思い返すと、電子音楽、電子音響漬けの
毎日だった。

しかし、残念なことに
今思えばヨダレが出るほどの様々な
ライブやイベントが数多く開催されていた
というのにもかかわらず、
ほとんど行かなかったのだ。
いや、行けなかった。

1981年といえば
YMOのウインターライブ、
クラフトワーク来日、
なんで行かなかったのだ私。
タイムマシンがあったら当時の筆者を
ひっ捕まえてこりゃチケット買えこの
一人遊び野郎がッ
と罵倒するに違いない。


その理由とは
全く奇異な想いがあったからなのだ。

普段レコードやテープで聴いている
数々の電子音楽やエレエレな音楽。
そういう音楽が好きでたまらなかったが、
その音楽を実際創った人々、
演奏している人々、
そんな人達を生で見ることが出来る上
同じ空間で同じ空気を吸うこと自体が
アンバランスの世界であり、
異常事態であり、非日常であり、
一切の常識が崩壊するようなそんな
衝動を持っていた。
レコードの中の存在との差異。
当時筆者はそういう屈折した心象で
満たされていたのだ。


だから、
1983年11月
渋谷パルコ・パート3で行われた
「モダン・コレクションVol.4」
にて、初めて細野晴臣さんを生で
見たときには
気が狂いそうになったことは言うまでもない。

この時は既に散開ツアー中だったから
自分にとってはYMO(第一期)として、
ぎりぎりYMO結成中のホソノさんを生で見た
記念のイベントなのだ。
だから生涯忘れることのないライブの一つだ。


このライブはコシミハルさん
(当時は「越美晴」と表記)のtutuという
テクノ人デビューアルバム?の
レコ発ライブ的な側面もあったライブで
ゲストに細野晴臣さんがご出演されていたのだ。

バックトラックは8TRのハーフインチの
MTRから送出していた。
最初ステージ上にはホソノさんはいない。
シンセの前にマネキンが置いてあった。
数曲演奏後、暗転。
明るくなったら、マネキンが細野晴臣さんに
入れ替わっていた、という演出。

シビレまくった。
箍が外れた。

筆者のもう一つシビレたライブは
実はそれから20年も経った2002年のことだった。
その話はまた別の機会で。









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