2012/02/19

(No.1638): 妖怪展にて


子供の頃に見た妖怪図鑑。
そこには江戸時代と思われる古書からの
図案が抜粋的に掲載されており
子供心に、マジで昔はこういう妖怪が
いたんだなと思った。
特に、水木しげる氏の漫画に登場する
妖怪はこの古書類に出ている彼らと
非常に似ていたので、
ちゃんと昔の資料をもとに作画しているんだ
と感心したものだ。

子供の頃に見た妖怪図鑑に掲載されていた
江戸時代の古書、
今回その原画を生で見る事が出来た。
練馬区石神井公園ふるさと文化館において
江戸の妖怪展」が開催されている。
この展示は1600年代から1800年代の貴重な
妖怪に関する古書や浮世絵、或いは大衆芸能に
おける妖怪に関する資料が展示されている。

生原稿の「朧車」とか感動すること間違いなし。
それにしてもオリジナル原画は、
すごい細かく描いている。すごい丁寧。
妖怪ファンは一度は訪れることをお薦めする。


筆者がこれら図版に惹かれるのは
妖怪そのものの姿だけではない。
妖怪が出現しているその場面には必ず
江戸時代の人々の暮らし、言うなれば
日常風景が描かれているのだ。
そのことによって非常にリアリティが
増していると思われ、その日常の中の
唐突性に惹かれるのだ。







(写真は会場で購入した図録より)


例えば、「狐者異」の絵にはうどん屋さんの
道具が’描かれている。
なんで、うどん屋さんなのだ。
この脈絡の無さ、これこそがリアリティなのだ。

「歯黒べったり」は神社の鳥居の手前に佇む
というシチュエーションだ。
「ぬらりひょん」の奥の座敷には火鉢が
置かれているのが見える。
このような日常の風景も丁寧に描かれている。

つまり、怪異とは、日常のシーケンスでは
予想できないタイミングと意図によって
紡がれる自然の理なのだ。

日常の中にそれは常に「ある」のだ。
つまりそれは「自然」と同義である。
だから自然に対する畏怖の念は
忘れずにいたいものである。







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