2012/03/11

(No.1656): 自然と尊像


古来より日本人は自然に対して畏怖の念を抱き
それを信仰の糧としてきた。
巨石信仰はだいぶ古い時代から行われてきた
風習で、或いは山岳信仰として山自体を奉る
などもこれに含まれる。
繰り返すが、
天津神や国津神などの神話の世界よりも
さらに古い太古の神々をお祀りしている
神社の多くは、自然神が多い。
社は山の麓に在し、奥の院として山の頂上付近に
小さな祠を建ててご神体はその山そのもの
ということも珍しくない。

翻って仏教では仏像がご神体の場合が多いので
山だとか岩だとかはないだろうと思っていた。
ところが、北関東のあるお寺の奥の院には
自然に出来た鍾乳石が十一面観世音菩薩の
後ろ姿に見える事から尊像として拝されている。
奥の院は麓の本堂からほとんど整備されていない
山道を約1.5Km登った山の巓の崖の中腹に位置し、
入山には別途入山料が必要な程の行程である。
実物を拝謁し、参拝し、その存在の神秘さには
驚かされた。





普段、東京の真ん中で某が何やらとパソコンに
向かって設計書などを書いているその時でも
客先に出向いて、あーでもないこーでもないと
打ち合わせ会議をやっている最中でも、
その同じ時間、ここの奥の院のこの場所は
あの時と何も変わらずにそこに存在しているのだ
ということを想うと、滅法不思議でならない。

同じ惑星の出来事なのだろうか。







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