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古来より日本人は自然に対して畏怖の念を抱き
それを信仰の糧としてきた。
巨石信仰はだいぶ古い時代から行われてきた
風習で、或いは山岳信仰として山自体を奉る
などもこれに含まれる。
繰り返すが、
天津神や国津神などの神話の世界よりも
さらに古い太古の神々をお祀りしている
神社の多くは、自然神が多い。
社は山の麓に在し、奥の院として山の頂上付近に
小さな祠を建ててご神体はその山そのもの
ということも珍しくない。
翻って仏教では仏像がご神体の場合が多いので
山だとか岩だとかはないだろうと思っていた。
ところが、北関東のあるお寺の奥の院には
自然に出来た鍾乳石が十一面観世音菩薩の
後ろ姿に見える事から尊像として拝されている。
奥の院は麓の本堂からほとんど整備されていない
山道を約1.5Km登った山の巓の崖の中腹に位置し、
入山には別途入山料が必要な程の行程である。
実物を拝謁し、参拝し、その存在の神秘さには
驚かされた。
普段、東京の真ん中で某が何やらとパソコンに
向かって設計書などを書いているその時でも
客先に出向いて、あーでもないこーでもないと
打ち合わせ会議をやっている最中でも、
その同じ時間、ここの奥の院のこの場所は
あの時と何も変わらずにそこに存在しているのだ
ということを想うと、滅法不思議でならない。
同じ惑星の出来事なのだろうか。
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