2012/03/13

(No.1658): あの時の歩武


2011年の3月11日の筆者の記録

この日は渋谷区の仕事場から多摩東部の
住処まで歩いて帰った。凡そ25kmの道のり。
約7時間かかった。
筆者のiPhoneの中には18時40分頃の
シャッターの降りたJR代々木駅の写真がある。





新宿までは物凄い人の流れで
路上は自動車の大渋滞、
歩道は人の流れで溢れかえっていた。
明治通りは初めて見る人の流れだった。
無理して帰宅せず、
会社に留まったほうが良い
というのは後で知った。

帰宅難民というワードは3.11以前
首都直下型地震等による災害で
帰宅困難者が続出するという話はあった。

実際、
自分自身がその境遇になるということ。


会社から支給されたものと思われる
白いヘルメット姿のサラリーマンや
OLの方々がたくさん歩いていた。
動かない自動車の間の網の目を
くぐりながら自転車やバイクが走っていた。
自転車やバイク、最強と思った。
レンタルバイク屋にはバイクが
一台もなかった。
レンタサイクルも同様。
自転車屋さんで自転車を購入している
人もたくさん見かけた。
2時間前に抜かれたバスに追いついた。
歩くよりも遅く進む自動車。

コンビニには飲料、食べ物がことごとく
売り切れていた。
温かいコーヒーを無料で配っている
居酒屋さんがあった。
「トイレどうぞお使い下さい」の看板を見て
小さな劇場の中でトイレを借りた思い出。

筆者は仕事場からの道路帰路は
熟知しているので道に迷うということは
ないが、クルマを運転しない人などは
どこをどう歩いて帰れるのか
わからない人もたくさんいたようだ。
そんな話を後でたくさん聞いた。

人の流れは三鷹市に入ったあたりくらいで
だいぶ減ってきた。
しかし、道路はどこまで行っても
大渋滞だった。


18時過ぎに仕事場を出て
住処に着いたのは午前1時頃だった。
そんなの被災された人に比べたら
屁のようなもんだ。








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